モトックスが提案する、ワインのあるライフスタイル「もっと!ワイン」

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アジィエンダ・アグリコーラ・ポッジョ・スカレッテ

Azienda Agricola Poggio Scaletteアジィエンダ・アグリコーラ・ポッジョ・スカレッテ

イタリアワイン界の重鎮 ヴィットリオ・フィオーレ氏 による希少品種、サンジョヴェーゼ・ディ・ラモーレの集大成 「イル・カルボナイオーネ」 の醸造元

オーナー フィオーレ親子

所在地
Via Babiano,7-Loc.Ruffori 50022 Greve in Chianti Firenze Italia 地図を見る>
Website
http://www.poggioscalette.it//
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「ヴィットリオ・フィオーレ」を抜きにしてイタリアワインを語ることはできない

1964年にミラノでコンサルティング・ワインメーカーの仕事を始め、多くの蔵のコンサルティングを行いイタリアワインの品質向上に寄与、イタリア醸造技術協会理事や国際醸造家組合執行委員という要職をも歴任してきた、イタリアワイン界の重鎮、“スター・エノロゴ”の先駆者的存在。

それがヴィットリオ・フィオーレ氏です。

そして、そんな彼が自身の足で探し出した畑のブドウから、40年にも及ぶ経験を生かしたワイン造りを行う彼自身のワイナリー、それが「ポデーレ ポッジョ・スカレッテ」です。

 

イタリアワイン業界自体の将来を背負い、世界各国を飛び回っていたフィオーレ氏でしたが、1978年、病気がちな妻の体調を思い、環境の良いトスカーナに移り住むことを決心。以来、その経験と知識を集約させた自身のワインを造るべく畑を探し始め、遂に1991年、 グレーヴェ・イン・キアンティ地区、ルッフォリに理想の畑を見つけ出しました。
その名が “ イル・カルボナイオーネ ”。この小さな農園で、今ではほとんど存在しないといっても過言ではないキアンティ・クラッシコの有名なクローン「サンジョヴェーゼ・ディ・ラモーレ」と出会ったのです。フィオーレ夫妻はその畑を購入。そして、集大成ともいえるワイン「イル・カルボナイオーネ」を完成させたのは、翌1992年のことでした。 その後、1996年には、新たに隣接していた建物(現在のカンティーナ)と土地を購入、2003年にも4Haの土地を購入しました。

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イタリアワイン業界で無くてはならない存在

イタリア・ワイン界の重鎮、ヴィットリオ・フィオーレ氏。イタリア・ワイン界が大きく変動する1970年代、いわばイタリア・ワインの「ルネッサンス時代」を迎える以前からワイン業界に貢献し、激動の時代を実際に見てきた、まさに「イタリア・ワイン界の生き字引」。
フィオーレ氏がこの業界に入った頃のイタリア・ワインは、「質より量」を追い求めた造りだった。当時は酸が強くて味が薄い北の産地のワインと、果実味が豊かだが酸がない南の産地のワインを混ぜて、味をおぎなう造りをしているような有様でだった。
その後1970年にイタリア醸造技術協会勤務、理事として世界各国を回るようになり、様々なワインを飲み、世界中に知人ができ、見識を深めることができた。この頃、醸造家同士でイタリア・ワインの現状について憂い、そして将来について話し合った。彼らのような志を持った人たちに加え、ルイジ・ヴェロネッリ、マリオ・ソルダーティなどといったジャーナリスト達の活躍により、1970年代、イタリア・ワイン界がワインの「質」を考えるようになり、「ヴィニタリー」等のワイン見本市も開催されるようになり、イタリア・ワインにルネッサンス時代が到来。
1978年、フィオーレ氏は、個人としてイタリアで初めてとなる醸造コンサルタントとして独立。氏がトスカーナへ移住した時のこと。この当時のトスカーナの畑は、1,000年以上のブドウ栽培の歴史があるものの、ほとんど打ち捨てられた状態であり、今からは想像も出来ないほどワインの質はひどいものだった。
しかしフィオーレ氏をはじめとするワイン業界関係者の活躍により、今やトスカーナ州はイタリアを代表する銘醸ワインを数多く生み出す産地として注目されています。
イタリア・ワインの激動の流れ、またトスカーナ・ワインの変革時期。まさにこの変動期の中心にいたのがヴィットリオ・フィオーレ氏だった。
 
【経歴】
1941.05.14生まれ。オーストリアとの国境付近になる、アルト・アディジェのブレンネーロ(Brennero)で生まれる。父は税査察官で、ワインとは全く関係ない仕事をしており、また彼の生まれた周りにブドウ畑はなかった。むしろ、標高が高く、寒すぎ栽培できない場所だった。

そんな彼が、どのようにワインの世界に入ったのか?義務教育の後、「山奥より開けた場所に移りたかった。それに何か専門的な職を手にしたかった。」といい、今でも有名なサン・ミケーレ・アディジェ農業専門学校に入学、2年間ブドウ醸造、栽培学を修める。
その後ヴェネトのプロセッコメーカーにて、1961年まで修行を兼ね、従事。その後1972年までマルタ島(シチーリアの南)、ミラノ、後ピエモンテでもワイン醸造に携わる。その間、1964年にアドリアーナさんと結婚。1968年にはユーリ・フィオーレが誕生した。

その頃、1970年頃から自分自身のワイナリーを持ちたいと考え初めていた。一方で、イタリアワイン業界を背負う立場まで成長し、1972年に「イタリアワイン醸造技術協会理事」に任命され、1978年までこの要職につく。
この年の1978年、奥さんの持病などの理由により、暖かい所に住みたくなり、トスカーナへ移住する。この時から独立して、ワイン醸造コンサルタントを本格的に始める。友人がパンツァーノ・イン・キアンティでワイナリーを営んでおり、そこでエノロゴとして活動を開始し現在に至る。

 

【ヴィットリオ・フィオーレ氏のプロフィール】

1941年 : アルト・アディジェ ボルツァーノに生れる
1956~57年 : サンミケーレ・アディジェ農業専門学校へ
1956~61年 : ヴェネトのカンティーナで醸造を学ぶ
1962年 : マルタ島大規模ワイナリーに従事
1963~65年 : ミラノのワイナリーに従事
1966~71年 : ピエモンテのワイナリーに従事
1970~78年 : イタリア醸造技術協会勤務、理事として世界産地を廻る
1978年 : トスカーナに移住、醸造コンサルタントとして独立

 

【フィオーレ氏のキャリアは、大きく3つに分けることが出来る。】
①まずカンティーナにて内部の仕事に従事(1961年まで)・・・基本的なカンティーナの作業を学ぶ。
②後、約10年間イタリア各地でワイン醸造を担当・・・醸造の本質を学ぶ。
③1972~1978までワイン醸造技術協会理事としてフランス、スペインなど世界を回る。 ・・・世界的視野からワインを学ぶ。


故にワインに関して広い視野で造詣が深い。
彼自身も現在までをふり返ると、この3つの時期が、現在エノロゴとしてのベースになった重要な経験であったと語る。

現在までにワイン醸造コンサルタントしたワイナリー件数は50以上。

1990年代中頃:最高エノロゴ賞獲得

 

【今後の活動】
最大の夢であった「自分のワイナリーを持つこと」が実現した今は、このワインが代々続いていくよう尽力する。身近な予定としては、新しく醸造設備を拡充したい。生産量に対して現在の醸造所はあまりのも狭すぎ、それに作業効率が悪い為。

 

【ワイン醸造にあたり一番大事にしていること】
ワインは文化である。畑、ブドウ、ワイン、その消費者に対しても敬意を払い、目標に向かい取り組む事。

 

【あなたの考えるエノロゴ(醸造家)とは?】
ワイン文化の素晴らしさを伝播し推進する人。例えば、いくら素晴らしいポテトを作っても、美味しいポテトに他ならないが、ワインは、収穫したブドウから限られた時間の中で、変化、変身させる。そしてワインの中にメッセージを委ねる。それが、ひとつはテロワールであったりする。

 

【明日世界が終わりとしたら今夜どのワインを開けるか?】
やはりイル・カルボナイオーネを開けたい。これは私達フィオーレ家ファミリーそのものであるから。

オーナー:ヴィットリオ・フィオーレ氏

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